道大路のいみじきに、ものどもを見過ぐしつつあさましかりつる御夜歩きのしるしにや、いみじうわづらはせたまひて、うせたまひぬ。
このほどは新中納言、和泉式部などに思しつきて、あさましきまでおはしましつる御心ばへを、憂きものに思しつれど、上はあはれに思し嘆きて、四十九日のほどに尼になりたまひぬ。
為尊親王(弾正宮)は、道や大路がみじめな状況で、死体などを脇に見ながらの、呆れるほどの夜歩きの結果だろうか、ひどく病に苦しみなさって、亡くなってしまった。
最近では新中納言や和泉式部などに想いを寄せなさって、呆れるほどでいらっしゃった為尊親王のお気持ちのありようを、正妻はつらいものだとお思いになっていたけれど、為尊親王の死に際してはしみじみ辛く思い嘆きなさって、四十九日のときに尼になりなさった。
この春宮の御弟の宮達は、少し軽々にぞおはしましし。帥宮の、祭のかへさ、和泉式部の君とあひ乗らせたまて御覧ぜしさまも、いと興ありきやな。御車の口の簾を中より切らせたまひて、わが御方をば高う上げさせたまひ、式部が乗りたる方をば下ろして、衣ながう出ださせて、紅の袴に赤き色紙の物忌いとひろきつけて、地とひとしう下げられたりしかば、いかにぞ、物見よりは、それをこそ人見るめりしか。
この皇太子(のちの三条天皇)の弟宮たちは、少し軽々しいご性格でいらっしゃった。敦道親王(帥宮)が、賀茂祭の還立のとき、和泉式部の君と同乗なさって祭をご覧になった様子も、大変面白いことであったよ。牛車の口の簾を真ん中で切り開きなさって、自分の方は高く上げなさり、和泉式部が乗っている方を下ろして、衣を長く出させて、紅の袴に、赤い色紙の物忌の札でとても大きなものをつけて、地面につくくらいにお下げになっていたので、どうだろう、祭見物よりも、その二人のことを人が見ているようだったよ。