恋多き女性として知られた女流歌人、和泉式部による日記。敦道親王(帥宮)との馴れ初めから、和泉式部が宮の邸に仕えるようになるまでの半年余りの様子が綴られています。和泉式部自身のことを「女」と称していることから、『和泉式部物語』と呼ばれることもあります。2人の和歌のやり取りが多くおさめられた作品です。
※本文は吉田幸一編『和泉式部日記 榊原本』(笠間影印叢刊、二〇〇三年)を翻刻したものをベースに、一部を三条西本で補いました。なお、榊原本は、応永本系統の無標語本です。
夢よりもはかなき世の中をなげきつつ明かし暮らすほどに、はかなくて四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。端の方をながむれば、築地の上の草の青やかなるも、人は殊に目とどめぬを、あはれとながむるほどに、近き透垣のもとに人のけはひのすれば、「誰にか」と思ふほどに、さし出でたるを見れば、故宮にさぶらひし小舎人童なりけり。
あはれにものを思ふほどに来たれば、「などか久しう見えざりつる。『遠ざかる昔のなごりには』と思ふを」などいはすれば、「『そのこととさぶらはではなれなれしきやうにや』とつつましうさぶらふうちに日ごろ山寺にまかりありき侍るになむ、いとたよりなくつれづれに侍りしかば、御かはりに見まゐらせむとて、帥の宮になむ、まゐりて侍りし」と語れば、「いとよきことにこそあなれ。その宮はいとけけしうおはしますなるは。昔のやうにはえしもあらじ」などいへば、「しかおはしませど、いと気近うおはしまして『まゐるや』ととはせ給ふ。『まゐり侍り』と申し侍りつれば、『これまゐらせよ。いかが見給ふ』」とて、橘の花をとりいでたれば、「昔の人の」といはれて、見る。
「まゐりなむ。いかが聞こえさせむ」とていへば、ことばに聞こえさせむもかたはらいたうて、「何かは。あだあだしくも聞えさせたまはぬを。はかなき事も」と思ひて、
かほる香によそふるよりはほとどぎす聞かばや同じ声やしたると
夢よりもはかない世の中を嘆き嘆き時を過ごすうちに、あっけなくも四月十日過ぎにもなってしまったので、緑が濃くなり、木陰もだんだん暗くなっていく。庭の端の方に目をやると、築地の上の草が青々としているのも、他の人は特に目を留めないけれど、私はしみじみと見ているときに、すぐそばの透垣のところに人の気配がしたので、「誰だろうか」と思っていると、出てきたのを見たところ、亡き宮(為尊親王)にお仕えしていた小舎人童なのだった。
しみじみと物思いにふけっていたところにやって来たので、「どうして大変長い間、姿を見せなかったの。『遠ざかっていく昔の名残にはあなたを見よう』と思っているのに」などと、取次の者に言わせたところ、「『特にそのことという用事もございませんでは、馴れ馴れしい様子ではないでしょうか』と遠慮されていますうちに、ここ最近は山寺あたりを訪ねていましたところ、本当に心細く所在のない感じがしたので、亡き為尊親王のかわりに拝見しようということで、敦道親王のもとに参上しておりました」と語るので、「実に良いことじゃないの。その宮は大変お上品でいらっしゃるようねぇ。昔のようにはとてもいかないでしょう」などと私が言うと、「そうではございますが、とても親しみやすくいらっしゃって、『和泉式部のもとに参上するのかい』とお尋ねになるのです。『参上しております』と申し上げましたところ、『これをお持ちしなさい。和泉式部はどうご覧になるだろうか』」と言って、小舎人童が橘の花を取り出したので、思わず「昔の人の」というのが口をついて出て、その橘を見る。
「そろそろ敦道親王のところに参りましょう。どのように申し上げましょうか」と言うので、普通の言葉で申し上げるようなこともきまりが悪くて、「ええい。敦道親王は浮ついた評判にもなっていらっしゃらないのだから。ちょっとした和歌でも」と思って、
薫る香にかこつけるよりも、ほととぎすさん、聞きたいわ、あなたが亡き宮と同じ声をしているかと
宮、例の、忍びておはしましたり。女「さしもやは」と思ふうちに、日ごろのおこなひに苦しくてうちまどろみたるほどに、かどたたくを聞きとがむる人もなし。聞こし召すことどもあれば、「人のあるにや」と思し召して、やをら帰らせ給ひぬ。つとめて、
「あけざりしまきの戸ぐちに たちながらつらき心のためしとぞみし
憂きわすれにやと思ふにもあはれになむ」
とあり。「昨夜おはしけるなめり。心なくも寝入りにけるかな」と思ひて、
「いかにかはまきの板戸もさしながらつらき心のありなしはみむ
をしはからせ給ふべかめるこそ。見せたしは」
とあり。こよひもおはしまさまほしけれど、かかる御ありきを人々も制しきこゆるを、「とかく宮などの聞こし召さむこともかなしきやうなり」と思しつつむほどに、いとはるかなり。
敦道親王は、いつもの通り、人目を忍んでいらっしゃった。女は「そんなこと(お詠みになった通り今夜いらっしゃるようなこと)があるかしら。どうせないでしょう」と思っているうちに、ここ数日のおつとめに疲れて少しうとうとしているときだったので、親王のお供の者が門を叩くのを、それと気付く人もいなかった。親王はかねてからお聞きになっていること(和泉式部の悪評)もあるので、「他の男などがいるのだろうか」とお思いになって、そっとお帰りになった。その翌朝、
「あなたが開けなかった真木の戸口に立ちながら、薄情な心とはこういうことかと思い知った。『辛いことに、あなたは私のことを忘れてしまったことであろうか』と思うにつけても、しみじみ辛いことで」
と、宮からの手紙に書いてある。「昨夜いらっしゃったようね。気配りもなく寝入ってしまっていたことよ」と思って、
「どのようにして、真木の戸口を閉めたままで薄情な心の有無を見ることができるでしょうか、いえ、見ることなどできません。勝手に推し量っていらっしゃるようで。私の心のありようを直接お見せしたいものです」
と、女からの手紙にある。今夜もおでかけしたいと思うけれど、このようなお出かけを人々もお止め申し上げるので、「何かと皇太子である兄などのお耳に入るようなことがあったら、悲しいことだ」とご遠慮されているうちに、時間が経ってしまう。
おはしまさむと思して、御火とりなど召すほどに、侍従の乳母まうのぼりて、「出でさせおはしますはいづちぞ。この事いみじう人々申すなるは。なにのやむごとなき人にもあらず。召しつかはせおはしまさむと思し召さむかぎりは、召してこそつかはせおはしまさめ。かるがるしき御ありきは、いと見苦しき事ぞ。ただにも人々あまたかよふ所なり。美なきこともいでまうできなむ。すべてすべてよからぬことは、この右近の尉なにがしが始むるなり。故宮もこれこそはゐてたてまつりしか。よる夜中とありかせ給ひて、よき事やはある。かかる御ありきの御ともにあるかむ人々は大殿に申さむ。世の中はけふあすとも知らず、かはりぬべかめり。殿の思し掟てし事どもあるものを。世のありさま御覧じ果つるまでは、かかる御ありきなくてこそおはせめ」と申し給ふ。「いづちかいかむ。つれづれなれば、はかなきすさび事を。ことごとしういふべきにもあらず。」
かねてのたまはせむには「あやしくすげなき物にこそあれ、さるはいとくちをしからぬ物にこそあめれ。よびてやおきたらまし」と思せど、「まして聞きにくき事ぞあらむ」など、思し乱るるほどに、おぼつかなくなりぬ。
敦道親王が女(和泉式部)のもとにいらっしゃろうとお思いになり、御火取などをお取り寄せになっているときに、侍従の乳母が参上して、「外出なさるのはどちらへ。このことをひどく人々が噂をし申し上げているようですよ。その女はこれといって高貴な人ではありません。召し使おうとお思いになるような限りは、召してお使いになるのが良いでしょう。軽々しいお出かけは、大変見苦しいことです。ただでさえ、その女は男性がたくさん通う所です。見苦しいことも出てくるに違いありません。全く何もかも良くないことは、この右近の尉なんとかが始めるのです。亡き宮もこの者こそがお連れ申し上げたの。夜更けにお出かけなさって、良いことがあるでしょうか、いやございません。このようなお出かけのお伴として歩くような人々は大殿に申し上げましょうね。世の中は今日明日とも知らず、変わってしまうものであるようです。殿がお決めになったことなどもありますのに。世の中の様子をすっかり見届けなさるまでは、このようなお出かけはなさらないのが良いでしょう」と申し上げなさる。
親王は「どこへ行くでしょうか。手持ち無沙汰ですので、ちょっとした慰みを。おおげさに言ってはいけないよ」と答える。
親王が前々からおっしゃっているようなことによると、「身分も低くつれない女ではあるけれど、一方ではそんなにどつまらなくはない女であるようだ。そばに呼んで置いておこうかどうしようか」とお思いになっているのだけど、「呼び寄せたら、さらに聞き苦しいことがあるだろうか」とお悩みになっているうちに、女への訪れがなくなってしまった。